高尾には藤原千方にまつわる伝説の地が数多くあります。その最も有名なのが千方窟(千方城跡)です。
藤原千方は伝説上の人物で四つの鬼を使って朝廷に反乱を起こし此処にたてこもったとされます。その四鬼が忍者の原型と言われます。
近辺には一斗の酒をつぐことのできる杯を洗ったという「斗盞淵(とさがぶち)」、討ち取った千方の首を洗ったという「血首井戸(ちこべがいど)」。千方窟には、城郭の正門跡とされる「大門跡」や「見張り台跡」、「風穴(ふうけつ)」などがあります。
藤原千方の物語は伝説です。千方窟は自然地形で城跡を示すものは何も出ていません。しかし芭蕉の高弟 山岸半残、服部土芳も訪れ句を読むなど古くから知られていました。
眼よりおとすあられか鬼の君 半残
よじ登る蔦のいろなす石の壁 土方
しかし此処に伝説が生まれ、伝承されて来たことには意味があるのでしょう。伊賀は交通の要衝でありながら幽陰な地と思われていたようです。権力者に容易に服従しなかった千方将軍に、強大な織田軍に立ち向かった伊賀忍者の姿がかぶります。
藤原千方の話は『太平記』巻第十六「日本朝敵の事」にも出てきます。
「天智天皇の御宇に藤原千方といふ者有つて、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼といふ四つの鬼を使へり。金鬼はその身堅固にして、矢を射るに立たず。風鬼は大風を吹かせて、敵城を吹き破る。水鬼は洪水を流して、敵を陸地に溺す。隠形鬼はその形を隠して、にはかに敵をとりひしぐ。かくの如く神変、凡夫の智力を以つて防くべきにあらざれば、伊賀・伊勢の両国、これがために妨げられて王化に従ふ者なし。ここに紀朝雄といひける者、宣旨をかうむつて、かの国に下り、一首の歌を読みて、鬼の中へぞ送りける。
草も木もわが大君の国なればいづくか鬼の棲なるべき
四つの鬼この歌を見て、「さてはわれら悪逆無道の臣に従つて、善政有徳の君を背きたてまつりける事、天罰遁るるところ無かりけり」とて、たちまちに四方に去つて失せにければ、千方勢ひを失つてやがて朝雄に討たれにけり。」
伊賀の国も服わぬ民の国だったのでしょうか
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